編プロ社長の頭の中

ものがたりカンパニーHEWの代表によるちょっとためになる話

編プロ社長が皆さんの疑問に答えます【第3回】他人を面白いと思わせる文章とは

<この記事は【いとわズ】からの転載です>

 

マスコミ業界に関する質問や相談に、編集プロダクションHEWの社長がお答えするコーナー。

第3回は、面白い文章の書き方の話です。

 

Q

23歳の大学生です。文章を書く仕事に憧れて、独学で文章の書き方を勉強しています。勉強会などに参加したり、自分では頑張っているつもりなんですが、人に見せると「ブログみたい」と言われてしまうことが多いです。。。
僕は面白いと思うツボが他人と違うのかもしれません。他人を面白いと思わせる文章はどうやったら書けますか?

 

まず、「ブログみたい」という批評が何を意味しているのか。
質問者は、「自分が面白いと思うことと他人が面白いと思うことが違う」、つまり自分の文章が読み手を選んでいるという風に理解してるようですが、本当にそういうことなんでしょうか。


この世の中は、いろんな人の細分化された趣味・嗜好が集まってできています。
すべてのテレビ番組を面白いと思う人、公開される映画がすべて刺さる人、出版される漫画すべてにハマる人なんていません。マーケットとして成り立たないくらいの少数派なんて、今の世の中に存在し得ません。「俺って異端?」なんて中学くらいで卒業しましょう。

 

で、普通に考えて、「ブログみたい」というのは「オナニーの域を出ていない」ということです。
面白いと思うツボが人と違うのではなく、何が面白いのかを表現できていないだけ。自分だけがそれを面白いと思うのではなくて、自分以外に面白さを伝えられていないのだと思います。それを面白いと思う人は必ずいます。


“話がつまらない人”っていますよね。でも、その人の中ではその話は面白いはずなんです。
でも、“その話を面白いと思っている自分”と“話を知らない他人”との距離感がつかめないまま、「自分は面白いと思っている」という情報だけ与えて共感を求めてしまう。
つまり、本来なら「伝える」ことが目的なのに、「話をする」ことで満足してしまうんです。


自分が見た夢の話を喜々としてする人も、面白いと思って話してるんですよ。
でも、夢の話って、自分しかわからない“自分”というパーソナルな土台と、“夢”というまったく他者が介在しない完全な主観との組み合わせであるがゆえに、“純度100%の自分事”という非常に人に伝えづらいもの。
面白く話すにはものすごくハードルが高いものなので、たいていつまらない。


文章だって同じです。つまらない文章というのは、ネタ自体の評価云々以前に、書いた人が何を面白いと思ったのか、なぜそれを面白いと思ったのかがわからない、つまり独りよがりの文章なんですよね。


ちょっと話は変わりますが、“文章がつまらない”のとは別に“文章が下手”な人というのもいます。文章が下手というのは、文章のルールやリズム、効果的な手法を知らないばっかりに、文章にいろんなマイナス点があるケースです。でもそれは、編集者の視点から見れば「修正」できるもので、言わんとしていること自体はわかる。
読んでいて寒くはないんです。だから、朱筆を入れて形を整えることでいい文章になることもあります。


一方、つまらない文章って、簡単に言うと寒いんですよ。文章にしているくらいだから、書き手には何か言いたいことがあるはず、言う意味があるはず、面白い部分があるはずなのに、それがこちらにはわからない。
だから寒い感じがする。
一見、きちんと整っている文章に見えたとしても、です。


つまらない文章が生まれてしまう原因は、つまらない話と同じで、自分と他人との距離感の問題であるケースがほとんどです。
あなたが書こうとしていることがつまらないんじゃなく、あなたのその言葉ではそれは伝わりませんよ、誰もあなたの頭の中などわからないんだからその言葉だけですべてを共有しろというのは無理がありますよという場合が多い。


それって僕は、コミュニケーションスキルだと思うんです。話し言葉によるコミュニケーションと同様、文章にもコミュニケーションというものは存在します。
コミュニケーションである以上、「伝えたいこと」と「読み手」があって初めて成立する。想定している読み手に、いかに効果的に伝えられるか。それが文章力です。当然、伝え方は読み手によって変わってくるし、読み手と自分との関係性によっても変わってくる。


読み手の受け取り方を想像する力こそが客観性です。他人に面白いと思ってもらえる文章を書くのは簡単なことではないですが、客観性を磨くことでつまらない文章を避けることはできるようになると思います。


客観性を身につけるのも簡単ではありませんが、僕の場合は、とにかく自分の文章を読み手の立場に立って書いたそばから何度も何度も読み返します。
何も知らない読み手や、飽きっぽい読み手、興味のない読み手、ちょっと意地悪な読み手など様々な読み手を想像しながら、自分の文章を繰り返し読んでみる。


案外、「とにかくわかりやすい文章」だけを心がけることで、面白い文章に近づくかもしれませんよ。

 

編プロ社長が皆さんの疑問に答えます【第3回】 | いとわズ

編プロ社長が皆さんの疑問に答えます【第2回】出版業界は終電が当たり前?

<この記事は【いとわズ】からの転載です>

 

マスコミ業界に関する質問や相談に、編集プロダクションHEWの社長がお答えするコーナー。

第2回は、編プロに入って半年くらいだという方からのご相談です。

 

Q

ライターに憧れて今春から編プロで働き始めました。ですが終電帰りは当たり前という慢性的な長時間労働に体の限界を感じています。
出版業界で働くなら長時間労働は当たり前なのでしょうか? 長時間労働が辛い自分は、ライターに向いていないと諦めた方がいいのでしょうか?

 

体の限界を感じているならすぐに何かを変えてください。そのうち体だけでなくメンタルも落ちていってしまいます。たとえ毎日夜遅くまで働いていても、「疲れるし眠いし早く帰れるに越したことないけど、まあ今はしょうがないかな」と思えているなら全然いいんです。でも、慢性的に辛いと思いながら働いていてもいいことはありません。煽りでもなんでもなく、何が辛いかは人それぞれなので、自分に合う仕事を見つけるのは大事だと思います。


さて。本当に終電帰りが編プロのデフォルトなんですか? 構造的に、下請け・孫請け仕事が多い編プロは案件1件あたりのギャランティは低くなり、数をこなさないと会社が回らないため、常に大量の仕事を抱え常に締め切りに追われているケースが多く、日々多くの業務をさばいていかないと給料が稼げないというのはあると思います。あと、どうしてもでかい仕事の締め切り前とか、しょうがない場合もあります。それは否定しません。クライアントに合わせないといけないので、僕もいまだに朝方まで原稿を書くこともザラにあります。
でも、編集者とかライターも、コンテンツ作りという点では映像作家やミュージシャンと同じクリエイター。問われるのは制作物のクオリティであり、制作時間ではありません。労働時間も自分の能力次第というだけで、裁量によるところも大きい。


なにより、僕は、これからはコンテンツを作れる人間が偉いんだという流れがどんどん来ると思っています。
たとえば芸能界を見ても、ちょっと前まではそれこそ搾取というか、事務所の力が絶大で個人なんてちっぽけな存在でした。でも、そういう構造が少しずつ崩れてきているのを実感します。スポーツ選手だって、やる俺が偉いんだって流れになってきてますよね。一般の企業でもそう。結局、会社なんて働く人が支えているという当たり前のことにようやく世の中が気づき始めた。


だから、僕は、大きな案件も小さな案件も条件面で一方的にクライアントの要望を飲むということはしません。もちろん、予算について腹を割って話をすることはありますよ。そこを理解して、納得することも多くあります。でも、足元を見て、価格競争をちらつかせるクライアントとは仕事しなくていいと思っています。金額が合うから発注するんじゃなく、うちでしか作れないコンテンツがあるから、他とはクオリティが違うからうちに発注する。そんな存在にならないといけないと思っています。


そうなれば、労働環境も自ずと変わってきますよね。だから、編プロ・ライターだからといって劣悪な条件かというとそうではないんじゃないでしょうか。
そのためには、自分の実力が大事なのは言うまでありません。力をつけて自分の価値を上げる。そのための努力をする。それが成功につながるのはどの業界でも同じだと思います。自分に対する投資をやりがい搾取と混同するのだけは注意しましょう。

 

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編プロ社長が皆さんの疑問に答えます【第1回】編プロで自分の好きなものは書けない?

<この記事は【いとわズ】からの転載です>

 

マスコミ業界に関する質問や相談に、編集プロダクションHEWの社長がお答えするコーナー。

第1回は、ライター志望の学生さんからのご相談です。

 

Q

ライターに憧れている学生です。将来は単行本を出したり、トークイベントに出演するようなライターになりたいのですが、その場合、編プロに入るのは回り道ですか? 文章を書く仕事はできても、自分の好きなものは書けなくなるんじゃないかと不安です。ちなみに文章でお金をもらう仕事は未経験です。

 

皆さん、「編集プロダクション」ってご存知なんですかね?
ご存知の方はどんなイメージをお持ちなんでしょうか。よく言われるのは、とにかくひたすら書いて書いて書きまくる集団というもの。実際、終電なんて当たり前、なんて話も聞いたりします。


編プロは、雑誌の編集部や出版社など、決まった相手と長く仕事をすることが多いようで、安定して仕事が来るぶん仕事内容は専門的になっていくケースもあります。「医療」とか「車」とか「旅行」とか、ジャンルに特化した編プロもありますよね。


で、質問の答えですが、僕は編プロは回り道どころか王道だと思います。
どんなことであれ、書く仕事に囲まれている状況なんて編プロ以外では考えられません。「仕事として書く」、それが当たり前にできるのは非常に恵まれた環境なんです。


今、業界には“自称ライター”が溢れています。
ほんと、腐るほどいます。

だいたいね、「書く」だけなら誰でもできるんですよ。ブログやSNSで。ミニコミで。それはそれで意味のあることだし、表現手段として価値のあるものですが、それを仕事にできるかどうかがプロとアマチュアの差でした。

でも今は、ネット媒体が乱立し、既存の媒体も記事本数を増やしたことで、そういったプロ未満の人にも書くチャンスが回ってくる時代。SNSが生活の一部になり、ポータルがタイムライン化したことで、“ネット記事”は完全に消耗品になっています。

“1本500円で請け負う大学生・主婦ライター”なんて話を耳にすることはありますが、あれは本当にある話。クラウドソーシングサービスにはそんな仕事がいくらでも転がっています。ライターを名乗る人間があまりにも増えたので、僕らはもう自らをライターと名乗るのをやめたくなっているくらいです。


だからこそ、きちんとした編プロで仕事をする意味がある。
「仕事として書く」環境は、その編プロが培ってきた実績と信頼があればこそです。編プロで当たり前のように用意されている仕事だって、そこにどれだけ営業力が費やされているか。
僕らは編集者もやっていますが、編集者としてライターを探すときに、書いたものを見ただけで知らない個人のライターに声をかけるなんてことは絶対にありません。いいブログを書いていれば誰かが見つけてくれるなんてのは夢のまた夢。もちろんそんな人も世の中に何人かはいますが、その何人かに入る自信がないのであれば、編プロに入ることは決して遠回りではありません。


また、ライティングについて学べるのも編プロの大きなメリットです。
好きなことを好きなように書くのは誰にでもできますが、お金になる文章を書くのは誰にでもできることではありません。
周りに教えてくれる人もいるだろうし、なにより人が見ている場で書くということ自体が研鑽といってもいいでしょう。自分のブログで書くのと、Yahoo!配信記事を書くのでは、求められる質もスピードも違います。プレッシャーも緊張感も違います。


「編プロだと自分の好きなことが書けない」なんて、役者が「劇団に入ると自分の好きな演技ができない」と言ってるようなものです。
まずは需要があるものを書く力をつけるというのは、決して回り道ではありません。むしろ、自分の幅を広げるチャンスではないでしょうか。
編プロを利用して、力をつけ、評価を受け、自分がやりたいことをやりやすい環境を作っていく。トークイベントのオファーを待つのは、それからでも遅くありませんよ。

 

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